2006年プロジェクト

カシミール刺繍と被災者女性たち

1.カシミール刺繍とは
カシミールでは手工芸品としてかねてから刺繍が盛んでした。もとは500年以上前のオスマントルコ時代に始まったといわれ、カシミールでも200年以上の歴史があります。オレンジ、ピンクや青など色鮮やかではっきりした模様と大きな縫い取りは独特の味わいがあり、カシミール土産としてだけでなく、パキスタン各地からバイヤーが買いに来て、カシミールの特産品として販売されていました。

その主なものは「ナムダ」と呼ばれる羊毛でできた薄いマットとキャンバス地に刺繍をしたもので、50cmx1mの標準的な大きさのものが1枚400〜500ルピーで売られています。コースター、テーブルセンター、クッションカバー、ティーコージー、ベッドシートなど外国人が見ても非常に可愛いものが作られています。

※1ルピー=約2円(当時)

カシミール刺繍作品 カシミール刺繍作品 

カシミール刺繍に励む女性たち

2.刺繍の技術
震災前には十数軒の刺繍店がムザファラバード市内に点在し、各店それぞれで約30〜50人の女性が契約し、総勢300人以上の女性が刺繍製品作りに携わっていました。

採用されていたのは「チェインスティッチ」と呼ばれる基礎的な刺繍方法です。この技術は、通常は1週間程度の訓練で一通りの作業を覚えることができます。そのあと2、3年でパターン作成や色の配置など、カシミール刺繍独特の味わいを持つ製品が作れるようになるといわれています。


3.生産方法
伝統的な家内制手工業で、刺繍店が材料を女性に渡し、完成品を引き取るという方法が取られていました。手間賃は、熟練の女性で1日あたり200ルピー程度で、ひと月では3000〜4000ルピーとなり、町の労働者の安い部類の給与に匹敵し、産業の発達していない山間部では貴重な現金収入源となっていました。

4.地震被災後
昨年10月の震災では多くの刺繍店が倒壊し、店主にも犠牲者が出ました。さらに、刺繍をしていた女性の多くも犠牲となりました。また、地震で被災したために、被災者キャンプや別の地域に移転するなどして全く連絡が取れなくなる女性が多く、生産量は激減しました。このため、現在ではムザファラバード市内にある2軒の刺繍店だけが細々と家族で続けているだけであり、生産量が激減したためにパキスタン各地からのバイヤーも買いに来なくなっていました。

カシミール刺繍を手にした女性

5.支援ニーズ

カシミール刺繍が産業として復旧、復活する見込みは立っていません。しかし、自分の村に帰還できない被災者の女性たちにこの技術を習得してもらえば、収入向上に役立てるとともに、女性による刺繍協同組合を組織化して持続的な生活再建と社会開発にもつなげられます。さらに、カシミール刺繍という伝統技術の復活・保存にも役立てることができ、意義の大きな支援事業として考えられます。

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